引用元: ・スレを立てるまでに至らない愚痴・悩み・相談part133
TwitterフォロワーAが物凄い
意識高い系で大変めんどくさかった。
フォロワーA:大学生
フォロワーB:余命宣告されるほど
重い病にかかってる。
ABと私は、共通の趣味を持っていて
お互いフォローし合っていたし直接
会ったこともある。
コロナ騒ぎが始まってからは会えなく
なっていたけれどTwitterでは絡んで
いた。
数ヶ月前、Bは若くして余命僅かと
告げられたことをTwitterで報告。
私もとてもショックで、なんと声を
かけていいのかわからなかった。
「辛くなったら愚痴るかもしれない
が構わないか」というBに、「勿論
です、そういう場所って大事」
みたいなことを伝えた。
ほどなくして
規制があったのかな
よければ続き待ってるわ
程なくしてBは辛さを訴えるよう
になった。いっそ病気ではなく
自分の手で終わらせたい、自らの手で
死にたいと自殺願望を語るように
なった。見ていて本当に辛かった。
健康な私がわかりますよなんて
言えない。いいねもつけられない。
するとAが空気を読まず、
「死にたいという人は、本当は
生きたいのだと思うんです」
と返信した。
ん?励まそうとしてるのか?
にしても今はなあ…と思って
そのまま見ていると、更に
「何故死にたいのか?その理由を
探ることはとても重要です。人間は
自分がこれこそ最適と思いたいことを
最適と思う生き物なのですよ。」
「本当に真面目に死と向き合っている
人は、死にたい、とこんな短絡的には
書きません。それは何故か。
他社とコミュニケーションを取る必要が
ないからです。死はあなたの中に内包
されています。
あなたの死にたいという言葉には
何らかの理由があるはずです。
しっかりとご確認を」
「僕は高校の頃からハイデッガーの
教えに学んで、死への疑問を投げかけ
続けてきました。Bさんはそれをした
ことがありますか?そのくらい真摯に
向き合えば、死にたいという愚かな
言葉は出てこない。
外国、例えばテロの頻繁に起こる
悲惨な国に行って、銃で打たれる覚悟は
ありますか?そこに骨を埋める覚悟は?」
「ないなら、死にたいなどと言うべき
ではありませんね。ほら、スイスで
安楽死もできますよ?」
「素直に言ったらいかがですか?
私は、健康な時も学ばず、病気から
学びを得られなかった、と」
「何度も言います。死にたいという
人ほど図太いんです」
とひたすらBを否定し続けた。
私や他のフォロワーが、
「芥川龍之介みたいなぼんやりした
不安とかそんなもんじゃない」
「今病気と一番向き合ってるBさん
に言うことではないですよ」
「死への問を続けて、いざやることが
他人を責めることになっているなら、
あなたの学びとやらが間違っている
とは思いませんか」
と呼びかけて発言を取り消すように
言ったが
「皆さんの言いたいことはわかります
病気のBさんに優しくしなくては
ならない、といいたいんでしょう。
でも、それは皆さんが「それこそが
最適解だ」と決めつけてBさんから
逃げてるんです。僕は逃げなかった、
それだけ」
とうだうだ言い続けた。
本当に怒りと呆れと悲しさしか
なかった。病気だから辛くて死にたい
ってこれ以上ない明確な理由だろうが。
Bさんから「さっきはすみません。
彼はまだ知識を披露したいお年頃
なんでしょうから。元気だなあ」
とDMが返ってきた。
そして昨年の冬、
Bさんは亡くなった。
親族が、Bさんに代わって状況を
Twitterで話してくれた。
自殺だった。
「Bを励まして下さった皆様、
ありがとうございました。とある方より
頂いたお言葉についてBは悲しんで
いました。努力や学びが足りないと
責めるものでした。死にたいなら
安楽死でもしろと無茶を言われて
いました。
その言葉を見せられた時、私達家族は
その方に直接会ってでも抗議したい
気持ちになりました。Bは逃げてなど
いません。誰よりも真剣に、自分の命と
向き合いました。努力家でした。
でも、本や努力ではどうにもならない
こともあるのです」
といった言葉が書かれてた。
どう見てもAのことだった。
当のAは
「おお!僕のことですね。可哀想に、
ずっと自分が見たいものだけ見て
死んだのですね。何かしら学びになれば
と思ったのですが。残念ですねえ」
と返していた。
かなりの数のフォロワーがAをブロック
した(フォロワーの数がガタ落ちした)の
を見届けてブロックした。
鍵垢のやり取りだったからともかく、
オープン垢なら凄く炎上していた
だろうな。
私はもっとBに厳しく言えることが
なかったかと、今でも悲しい。
Aさんです、彼にもっとがツンと言う
べきだったんじゃないかなって
もうずっと思ってるんです
理解しないよ
理解する回路が備わってない
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