引用元: ・今までにあった修羅場を語れ 7
ある休日のお昼過ぎ、父から父の祖母(私の曾祖母)が入院している病院にお見舞いに行くが一緒に行くか?
と誘われた。
当時その頃では珍しく100歳を超えていた曾祖母は、数ヶ月前から病院に入院しており、
病院は家の近くでもあった病院によく通っていた。特に、父は田舎の長男で曾祖母家とは別居状態だったが、
看病はほぼ母が引き受けていた。
その日の前日も確か母は病院へ洗濯物とりに行ったばかりだったので、誘いを断った。私も母が行かないならと、
その日はお見舞いに行かなかった。
結局父は一人で病院に行くことになり車で家を出た。
それから少し経って、公衆電話から電話が鳴り、父が交通事故に遭ったとのことだった。
幸い父は軽傷で済み、自分で公衆電話から電話をかけてきたのだが、母は慌てて事故現場(近所)へ走って行った。
私は家で待ってなさいと言われ後から聞いた話だが、父は既に青信号の状態だった交差点を直進中、
右からたまたま女性の脇見運転信号無視と左からたまたま男性の脇見運転信号無視の車の板挟みに遭ったと言うことだった。
そんなに小さくも大きくもない交差点だが、普通に信号もあり横断歩道もあるような交差点で偶然両サイドから
信号無視の車が突っ込んでくるなんてあり得ないと警察も父の信号無視を疑ったようだが、幸い目撃者が証言してくれたり
当事者も信号無視を認めたため父は悪くないと言うことになった。
買って数年しか経っていない車が全壊してしまったが、私の固定座席であった助手席の後ろが一番ぐちゃぐちゃだったこともあり、 あの時一緒に病院へ行かなくて良かったと母はほっとしたようだった。
事故処理等でくたくたになった両親が家帰って来たのは夕方だった。
事故云々で曾祖母のお見舞いには結局行けず、疲れたね~夜ご飯は食べにでも行こうか、お見舞いはまぁまた明日にでも・・・
とほっと一息ついたのもつかの間。
今度は病院からの電話。
つづく
曾祖母は祖母と田舎に暮らしていたのだが、車が無く、緊急の時は私の家か、母の携帯(当時は小さい携帯が発売されて間もない頃で 、周りは誰も持っていなかったが、緊急の時を考えて母だけ持っていた)に電話が来るようになっていた。
曾祖母の心肺が停止しているので直ぐ来てくれとのことだった。
再び私は家で留守番することになり、両親は慌てて病院へ駆けつけた。両親が病院へ着いたときには既に曾祖母は亡くなっていたそうだ。
あの時もし私と母も一緒に病院へ行こうとしてたら私たちもきっと事故に遭っただろう。
洗濯や病院とのやり取り等雑用はほぼ母が一手に引き受けており、病院通いも正直楽ではなかったと思う。
それを曾祖母は分かっていたのか母は曾祖母が最期に「来るな」と教えてくれたのかもしれない、あの日はなんだか気が乗らなかったと後日語っていた。 親戚一同悲しみにあふれてはいたものの、曾祖母は大往生と言うこともあり通夜、葬式とも父の事故の話題で持ちきりだった。
それから3回忌、7回忌、その他法事とことある事に喪主である父は親戚一同の前でのスピーチでこの日の話をしており語り草となっている。もう耳にたこができるぐらい聞いているが、23回忌でも必ずするであろうからそれまで元気でいてほしいと思う。
間接的に修羅場な私より両親の方が修羅場だった話だが、なんとなく思い出したので書き込みました。
おまえさんやお母さんが乗っていたら交差点に突入するタイミングが
数秒以上ずれると思うから事故そのものが無くなってるぞ、多分
お父さん軽傷でよかったね
曾祖母ちゃん、ありがとう!!だね。
そうですね、やはり父の事故自体数秒違ってたら・・・なので、父も病院に来るなということだったのだろうか、
とも話していました。
>>175
父は軽いむち打ち程度だったので本当に良かったと思います。
>>176
当時本当にそう思いました。母も守ってくれたのだろうと言っていました。
それあれだな、バスをどうしても途中で降りたくなった家族が
その先でバスが落石事故にあったのを知って「あのとき降りなければよかった」
と言ったという話と同じ観点だな
何故に 「あのとき降りなければよかった」になっちゃうの?
その家族が降りるのにかかった時間分、落石現場より先へ行けたはずだから
なるほど
得心した
でも、時間軸上は落石を免れるかも知れないが
そのバスが落石に直撃する運命なのは変えられないって思想もあるね
怖かったなあ
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