引用元: ・今までにあった修羅場を語れ【その28】
それも、暴力では無い虐待するタイプ。
例えば
園児の時
・与えられた本は「アイヌの民話」や「シートン動物記」。
・レコードは戦争関係の歌。同期の桜とか戦友とか愛国の花とか。
・絵本が欲しいと言ってもらったのは新八犬伝。絵本じゃなくマンガで劇画タッチで絵が怖い。
・小学館の小学2年生を年長の時に年間購入、ついてる問題が解けるまでおやつなし。
小学生の時
・小学2年生で漢字検定4級を受検させられる。落ちた。すると次の検定で必ず受からないと学校に行けなくなると脅される。毎日の読書は百科事典と辞書。
・なんとか5級(4級無理だった)受かったのでご褒美に本を買ってもらうが、その本が「路傍の石」と「真実一路」と「蟹工船」。
・習い事はなぜかロシア語。中学時にはアルファベットがこんがらがって英語がさっぱりわからなくなってしまった。
中学生の時
・美術で知事賞や市の大会などで何度か受賞したが、賞状やトロフィーはインテリアの邪魔と捨てられるので学校保存に。
・短歌と俳句も雑誌に投稿し掲載される。ところが恋の歌が多いことを正月の親戚の集まりでバラされ「不細工でデブなのに色気づいてどうしようもない子」「将来すっぽんぽんで男を誘惑する商売女がやること」「今日か
らぱんぱんちゃんと呼ぶね」「おっぱいモンでやろうか」などの目に遭う。嫌がっても両親は冗談のわからない子と笑ってた。
高校生の時
・歩いて2分の近所の母の友人がやってる美容室へ行かされる。地元でも下手で有名な店でできあがりは工事現場のヘルメット。
・泣きながら歩いていたら父が行きつけの理髪店の店主に見つかり、気の毒がってキレイなショートに整えてくれた。その頭を見て「ぱんぱんが男を引っかけに行く髪型」「ブスでデブなんだから何しても無駄」「ソープも雇うの嫌がる顔だ」と両親ともに散々言われた。
・髙3の5月に交通事故に合う。入院で中間テストを受けられず学校から救済措置をするからまず治せと言われる。しかしこのテストが受けられなかったことに父親が立腹、見舞いに持ってきた花かごを顔目がけて投げられ
た。その花粉でアレルギーが出て生死の境を彷徨うも両親とも責任取りたくないから姿を見せず。
大学生~成人後
・家から離れた国立大へ合格。一人暮らしを始めるも仕送りが度でストップ。電話したら「仕送りって毎月?そんなお金無いわ」と言われて嫌なら大学辞めて帰れと言われる。
・いつの間にか私名義のキャッシュカードが作られていて(緩かった時代)キャッシングで500万の借金を背負わされた。言うと「わしらに路頭に迷えというのか!」とぶち切れて暴れ警察沙汰になるので我慢して頑張って返済。
・結婚式場に前払い(現金)で行く時になぜか父親がついてきて、ATMで多く金額を下ろしておかないといついるか分からないと言われた。100万のところを150万出金させられた感じ。その50万を「危ないから」と先に持って帰り、使い込まれる。
・親族からの祝儀をすべて巻き上げられる。総額150万ほど。嫌いだったので縁切りと考えることに。
結婚後
・出産時、教えてなかったのに産院を調べて訪れ、子どもを「豚子ちゃん」「ごんべえちゃん」「わだべんちゃん」と勝手に呼ぶ(女児・2500gで大きい子ではない)
・2歳まで「ぱんぱん2号」と呼び続ける。主人の親の前でも言うので私が疑われ身辺調査をされた。おかげで今も姑との仲が良くない。
・七五三の前に髪を勝手に切る。家に入るなと言ってたのに大家を騙して侵入してのこと。引っ越しと住民票にロックをかける。
数年前
・父親が肝炎で急死。母親は呆け、施設行きの後に死亡。骨は合祀してくれる寺に頼んで位牌もまとめてぶっこんだ。
以上が人生の修羅場。ちっちゃいかな。
体に怪我させられたことはないけど、嬉しかった思い出はほとんど0。
運動会で父親が酒飲んで騒いだり、母親が文化祭の私の展示物にボールペンで修正入れようとしたりしたんで、教師からおまえも大変だなあと言われたことはしょっちゅうだったな。
お疲れ様です
結婚するまでに、何処かで縁切り出来なかったんだろうか
縁切り出来ていたら、お金を使い込まれる事や孫や夫達にまで迷惑かけられる事もなかったんじゃないかな
充分すぎるほど毒親だし、思春期以降はしっかり修羅場じゃないか。
合祀しただけでも立派。
なにはともあれ、終わってよかった
良く生き抜いて来たよね
これからは自分達の幸福な人生を生きろ
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