引用元: ・今までにあった修羅場を語れ 10
だらだらと勝手に書く。主に友人の話。
中学の時に知り合い、親友になった子がいた
(以下親友)
すごく明るい子でおっさんぽいところが
あるけどそれがまた魅力な親友は
高校入学と同時に彼氏ができた(以下親彼)
だけど入学から2カ月ほどで病気になり
入退院を繰り返すうちに留年決定。
体の回復を最優先に、また親彼も
もっと近くで支えたいとのことで
親友の家に居候しながら
親友父の会社で働くことに。
私「同棲じゃん羨ましいキイイ」
親友「肉くいたい」
みたいな微妙な会話ばっかりだったけど
毎日連絡とりあって惚気を聞いたり相談にも
のったり本当に幸せそうな感じで安心してた。
生活基盤がある程度整ってから
親友と親彼はアパートを借りて2人だけの同棲開始。
私は私で高校生活もうまくいってて
あっという間に一年が過ぎていった。
ある時、珍しく早朝に親友から電話が。
私「早起きだねー三文の得だねー」
親友「朝早くにごめん」
私「いーよ!どうした?」
親友「妊娠した」
私「ファッ!!??」
すごくびっくり。だって私たち当時17歳。
私「おめでとう!ちょっと泣いちゃいそう
親彼にはもう報告した?」
親友「検査薬の結果一緒に見て
2人で小躍りしたよwwwwww」
私「デゥフフお祝いしよー!」
両家両親大喜びで皆も
でき婚?だから何?孫だ!祝いだー!
って感じで孫フィーバーが凄まじかったらしい。
だけど妊娠発覚から約一ヶ月で流産。
お見舞いにいった時、親友も親彼も
目が真っ赤でパンパン。やつれてた。
そんな姿みてたら私も泣けてきて
三人で小さい子みたいに泣じゃくった。カオス。
その後2人は入籍。
いつも仲良くて見てるこっちがニヤけちゃうほど
素敵な夫婦になった。
入籍して一年後に再び妊娠。無事出産。
ハーフかよってくらい天使すぎる娘が誕生した。
その天使もすくすく育ち、
私がクソみたいな男達と付き合ったり
別れたりしている間に
親友と親彼の子供が四人に増えていました。
遊びにいくと満面の笑顔で出迎えてくれて
お手伝いやお話をたくさんしてくれる
とってもいい子たちでした。
ある日突然、親友が病気の再発で入院。
そんなに大変な病気ではないらしいけど
二週間の入院は必要らしく
入院中退屈だろうとお見舞いにいくことに。
私は車の免許を持ってないので
親彼が子ども達と迎えに来てくれることに
なっていた。だけど全然こない。連絡もとれない。
親友にも連絡したけど繋がらない。
???って思ったけどとりあえずメール入れて寝てた。
2日後、親友からやっと連絡がきた。
親友「…連絡遅くなってごめん」
私「それは全然いいけど…なんかあった?」
親友「………じゃった…」
私「え?」
親友「みんなしんじゃった……」
続きます
私「…どういうこと!?」
親友「親彼も子どもたちもみんな…しんじゃった」
意味がわからなかった。たちの悪い冗談だと思った。
親友も泣き叫んでてすぐに通話が切れてしまった。
急いで入院先の病院までタクシーでいって
病室の前までいったら泣き叫ぶ親友を押さえつける
看護師さんたちが目に入って身動きとれなくなった。
他の看護師さんに、今はまだ会わないほうが…と言われ
外のベンチで何時間もぼーっとしてた。帰りは歩いて帰った。
後日、病院で親友のお母さんと出会い
病院内の喫茶店でお話を聞いた。
あの日、親彼は私を迎えに行く前に花屋さんに
行くといっていたそうだ。
その途中の出来事なのかはわからないが
トラックとトラックの玉突き事故に
巻き込まれ、車はぺちゃんこ。原型をとどめてなく
遺体も判別するのが難しいほど無惨な状態だったらしい。
最愛の夫。大切な子供たち。
一瞬で全てなくしてしまった親友のことを考えると
涙と震えが止まらなかった。
続きます
普通の親ならそもそもその前に学校に戻すよね
精神的な病気なのかな
親友のお母さんは
「心配してくれてありがとう。
だけど今、あの子は普通に会話することも難しいの。
あの子から連絡がくるときまで関わりは当分避けて欲しい。
本当にごめんなさい」といった。
無言で頷き席を立ち、また歩いて家にかえった。
何度も色んなことが頭の中でグルグルして
整理しようとするほどぐちゃぐちゃになった。
わかったことはただひとつだけ。
私にできることは何もない、ということ。
色んな噂が飛び交う地元を少し離れて
一人暮らしをはじめた。
メイクや服装、彼氏や友人関係。
色々変わったけれど
携帯番号とアドレスだけは絶対に
変えなかった。
そして三年たち、私は28歳の誕生日を迎えた。
早朝の電話、ディスプレイをみて飛び起きた。
親友「誕生日おめでと。元気だった?」
私「…久しぶり、超元気だよ」
親友「ふふっ…ほんと久しぶりだね」
私「うん…そっちこそ元気なの?」
親友「うん!…あのね、聞きたいことも
話したいこともいっぱいあるの」
私「私も、今すごく会いたい」
その日の夕方待ち合わせして
三年ぶりに親友にあった。
三年前より少し痩せていたけど
親友の笑顔を見ただけで
涙が出そうになってしまった。
適当に個室の居酒屋さんに入って
乾杯して少しずつ話をしてくれた。
入院中も泣き、叫び、暴れて
大変だったらしい。
でも急になにも考えれなくなって
退院してから半年間ひたすらぼーっとしていたらしい。
で、あれ?お葬式は?ていうか事故の詳細も知らない
いつの間に事故からこんなに時間たってるの?って
思って頭の中が混乱→もちろん両家両親が全てしてくれていた。
何してんの私…ほんとに最低じゃん…
って親友呆然。
知り合い親族全員に土下座してまわり
その他目まぐるしいほど駆けずり回り
新たな生活基盤を整えるため勉強しまくり
通信制の高校に入学、そして資格をいくつも取得。
地道に貯めていたお金で最近一人暮らしをはじめ
私の誕生日に三年ぶりに連絡したとのことだった。
暇な方だけよんでいただければ。
続き
親族の方に聞けばお葬式や裁判などは
出席していたようなのだが
親友はその記憶がすっぽり抜けていて
今でも思い出せないらしい。
多額の保険金賠償金をもらって、
義父母に渡そうとしたけど
「貴方は今でも私たちの大切な娘。
失ったものを取り返すことはできないけれど
また築き上げることはできる。自分がまず幸せに
なることだけを考えて」といって
頑なに受け取ってくれなかったようです。
義父母さん超かっこいい。ちょっと泣いた。
現在親友は資格を生かした仕事につき、
飢えた私によく家庭的なごはんを作ってくれて
毎日がんばっております。
後日談があるのですごそれはまた今度。
ダラダラとすみません。読んでくれた方
ありがとうございました。
そればっかり気になってた
そうなってたから母ちゃんが行かせなかったんじゃないの?
でも230ご本人とそう思って然りな案件だと思うが、その記述はないのかな。見落としたかな。免許がないからって、見舞われる側に送迎頼むってすごい違和感ある。公共交通や別の友人知人に頼むのが普通だと思う。
そうなってたなら、こういう結末にたどりつけなかったろうな
じゃあ一緒に行こうって言われたんだろう
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