引用元: ・スレを立てるまでに至らない愚痴・悩み・相談Part217
自分は教育ママ+虐待父(+同居祖父母)という家庭で育った。
十代も半ばを過ぎると、当然のように精神が壊れ、虐められ、中卒ニートになった。
身体は大きくなったので、父の暴力は少なくなったが、かわりに言葉の暴力は倍増した。
同居していた祖父まで毎日のように部屋に押しかけ「穀潰しが」「出て行け」となじってくるようになった。
不幸中の幸いは、父方の叔父が自分に同情してくれたこと(叔父も父に嫌な目に合わされていたらしい)
叔父は我慢強く話をきいてくれて、カウンセリングにも連れて行ったり、世話を焼いてくれた。
ある日叔父の家に呼ばれて行くと、
「友達に○○(俺)と親戚だと思われたくない」と叫ぶ声が聞こえてきた。
4歳年上の従姉妹(叔父の娘)の声だった。
叔父は俺を見つけると従姉妹を叱り、その場は取り繕われた。
だが、自分は頭がうまくはたらかず、簡単な挨拶をしてすぐに帰ってしまった。
その日以来、叔父にも会いにくくなってしまい、実際に控えるようになった。
その後、母が覚醒し、自分の味方になってくれた。
相変わらず俺をイビり続ける祖父や父から、守ってくれた。それをみて頑張らなきゃとおもった。
中卒だったがもう一度勉強に向き合い、気が狂うほど勉強した。
その結果、高認を取得し、K大、W大、TH大に合格できた。
K大に進学し、実家を離れた生活が、少しずつ精神を回復させてくれた。
その間、従姉妹はFラン大を卒業し、ニートになっていたらしい。
自分が3年生になり、IT系に就職を決めた頃、従姉妹はコンピュータ系の専門学校に入学していた。
その学費を工面したのは祖父らしい。
祖父は自分がニートになったときはあんなにイビったが、従姉妹がニートになっても何も言わなかった。
従姉妹が専門学校でワードの資格をとったときも、お祝い金を弾んでいた。
自分が入社一年目で高度情報処理試験受かったとき、
褒めてくれたのは家族で母だけだったのを思い出して、少し悲しくなった。
同居ってなんだろうな、と。
そして従姉妹も卒業し、就職したのだが、なんと入社一ヶ月で辞めていた。職場でひどく虐められたらしい。
別に「ざまあ」とかそういう気持ちは全くないが、因果応報だと感じてしまった。
人の苦難を嗤ったり蔑んだりすると、いつか同じように苦しむことになるのだな、と。
それでも、いまは従姉妹にも頑張って立ち直ってほしいと思えるようになった。
悲惨な子供時代だったが、人の痛みがわかるという意味では、いい経験したかもしれない。おわり。
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